アメトーークの家電芸人にも登場するほど、家電に詳しい水田さん。
実は彼、【和牛】という名前でコンビを組み、M-1史上初「3年連続準優勝、敗者復活2回」の記録を持つお笑い芸人だと知っていましたか?
有名だったコンビが解散してしまった理由をまとめています
お笑いコンビ『和牛』
同期の芸人、『バイク川崎バイク』の紹介で、2006年に結成された和牛。
2016年8月、コンビ結成10年目の節目に単独ライブを大阪・東京で開催。
M-1グランプリ2016は準決勝敗退に終わったが、決勝当日に行われた敗者復活枠から決勝進出となり準優勝。この日以降人気が急上昇した。
翌年2017年は決勝までストレートで勝ち進むも、前年に続いて準優勝だった。
2018年は決勝までストレートで勝ち進んだが霜降り明星と1票差でまたしても準優勝。
3年連続での準優勝となった
2023年12月12日、お笑いに対する熱意などの格差を理由に、
2024年3月31日をもってコンビを解散した。コンビ解散以降もそれぞれ芸人の活動を継続する。
高い演技力と緻密な構成力を活かした漫才を得意とする。「正直で細かいところが気になる」水田と、「物腰柔らかいが決めたことは曲げない」川西2人の素のキャラクターに演技力が加わった形式が多い。ネタを作るにあたっては「整合性・一貫性を持たせる」こと、「嘘をつかない」ことを意識している
和牛結成前に別々のコンビで活動していた2人は、共にボケ担当で、さらにネタ作り担当でもあった。
どちらがボケをやるかについては、互いにネタ帳を見せ合い、既にネタの構成に色が出ていた水田をボケとすることに決めた。
細部にまでこだわるネタ作りで「漫才を行うにあたって無駄な言葉は1つもない」とお互い理解して作成している。
2015年までは水田の地のキャラを強めに出した「へりくつ漫才」「ネチネチ漫才」といわれているしゃべくり漫才を多く披露していた。
和牛解散の理由
検索すると、目立つワードは『水田さんの度重なる遅刻』
それによる漫才への価値観の温度差が原因だとされています。
下記、お二人の解散発表時コメントより
水田「意見できず苦しく」
きっかけは、3年程前に気の緩みから複数回の遅刻が重なったことでした。漫才のパフォーマンスにおいて川西の要求に応えられないことがあり、漫才への取り組み方について川西との差を感じるようになりました。お客さんに笑ってほしいという目的は同じでしたが、川西の求めるものと自分のやりたいこととのギャップが徐々に開いていき、相方に対して意見することができなくなり、楽しかった漫才が苦しいだけの毎日に。自分にとって、漫才も漫才以外のお仕事も、芸人の仕事は全て本業です。和牛を応援して下さっていた皆様にはお笑いで応えていきます。川西は絶対に大丈夫な人なので心配はしてません。僕自身のことはすごく心配だらけなのでこれまで以上に応援してください。
川西「情熱新たに」
3年ほど前から、僕はより舞台に力を入れたい思いが強くなる一方、水田の劇場出番への遅刻が続いたことをきっかけに、自分と彼の漫才に対する姿勢の違いが目立つようになりました。徐々に信頼できなくなり、節度を保てず厳しく言葉をかけることもありました。それが彼を苦しめることにつながり、求めるような漫才もできなくなってしまいました。応援してくださっていた皆様には心苦しい報告となりましたが、どうかご理解ください。会社と相談を重ねておりましたが、急なご報告となってしまいました。ご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げます。漫才師としての自分を育ててくれた会社やスタッフの皆様、仲間やお客様に、改めて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。今後も芸人活動は続けてまいります。新たに情熱を捧げられるものを探し、見つけ、挑戦していけたらと思っています。具体的な活動に関して皆様へお伝えできる日が来るよう、日々を精一杯に
まとめ
2人で一緒に創り上げてきた『和牛』
三日月は細部までこだわりの詰まった、和牛の漫才が好きでした。
解散は悲しいニュースでしたが、お二人がもっと高みに行けるよう、陰ながら応援しています。